top of page

世界かんがい施設遺産

世界かんがい施設遺産に登録認定されました

「宇佐のかんがい用水群(平田井路、広瀬井路)」が令和3年11月26日の国際かんがい排水委員会によって世界かんがい施設遺産に登録認定され、国内で44施設目、九州で6施設目、大分県内では初の登録になります。
当改良区としても、先人達が築いたこの施設を後世に残していく使命と責任があり、これを契機に更なる維持保全並びに宇佐平野の農業の発展に努めていきたいと思います。

認定発表の様子

大森理事長挨拶

世界かんがい施設遺産とは

国際かんがい排水委員会(ICID)は、かんがいの歴史・発展を明らかにし、理解醸成を図るとともに、かんがい施設の適切な保全に資することを目的として、建設から100年以上経過し、かんがい農業の発展に貢献したもの、卓越した技術により建設されたもの等、歴史的・技術的・社会的価値のあるかんがい施設を登録・表彰するために、世界かんがい施設遺産制度を創設しました。
登録により、かんがい施設の持続的な活用・保全方法の蓄積、研究者・一般市民への教育機会の提供、かんがい施設の維持管理に関する意識向上に寄与するとともに、かんがい施設を核とした地域づくりに活用されることが期待されています。

平田井路の特徴

平田井路は、平安後期(12世紀)に駅館川西側の低位段丘部と平野部の荘園開発を目的として、当時の宇佐神宮の大宮司であった宇佐公通(うさのきんみち)の命によって開削がはじまりました。取水堰は、河川水を効率的に取水するために、駅館川が宇佐平野に差し掛かる地点(扇頂部)に設けられました。また、当時の堰は、河川の石を積み、それを芝で繋ぎ止め、上部を土盛りしたものでありました。

1156年に開削された用水路は、左岸側から平野部を12㎞貫流し、約140㏊の水田開発を可能にしました。その後も用水路の延伸と新田開発が進み、1603年には水田面積は約463㏊となり、1765年には約653㏊、1924年には約1100㏊まで拡大しました。さらに、国営駅館川総合開発事業等を経て、現在の平田井路は幹線水路全長25.6㎞、受益面積1546㏊となっています。

上述の駅館川の水文学的特徴により平田井路の用水需給状況は厳しく、平田井路には、円筒分水をはじめとする多数の分水施設があり、現在も各分水区画の用水取水は時間ごとに細かく取り決められています。(現地では、「時水」とよばれています)

p5.写真15 八幡線三郎丸分水.jpg
p5.写真17 天津円形分水 下.jpg

広瀬井路の特徴

広瀬井路は、駅館川東側の台地部の水田開発を目指して、1751年に宇佐神宮の財政的な支援を受けて、築造がはじまりました。しかし、西側平野部に比べて約20m高い位置にある台地部に用水を供給するためには駅館川上流の山間部から取水する必要があり、工事は地盤崩落により進みませんでした。計画から120年の歳月と5度の挑戦を経て、1870年(明治3年)に庄屋の南一郎平らの尽力によって広瀬井路は完成を迎えました。

長い工事期間の中で農業土木技術の発展があり、広瀬井路には、山体を貫通する隧道、石橋の水路橋、逆サイフォン水路をはじめとする様々な工法が取り入れられています。1870年の用水路開削時の水田面積は約100㏊でした。

その後も水田開発が進み、1932年には約524㏊となりました。現在、広瀬井路の幹線水路全長は37.1㎞、益面積は1641㏊となっています。また、用水需要状況が厳しいため、広瀬井路には170を超える分水工や上下流の水田間で反復利用を可能にする用排水路の工夫がみられます。

なお、広瀬井路では、各分水区画の取水時間の規制は、平田井路よりもさらに細かく、分単位で行われています。

DJI_0011.JPG
IMG_0960.JPG

​南一郎平の偉業については、大分県のホームページ「農業水利偉人伝⑤南一郎平」(外部サイト)より

ダウンロードできます。

bottom of page